理想ってなんだろう


昨日、ある稽古場でのこと。

私はひたすら、もうひたすらメモを取っているだけなのですが、ちょっと気付いたことがあるのでシェアします。

メモを取るとき、私はもう全然毎回違うペンを使っちゃいます。
これ書きやすい〜とかはあるけれど
絶対これってのはない。
ノートもバラバラ。
絶対これってのはない。
しかも、大学ノートとかではなくて、どっかで見つけた可愛いノート。

そんな自分をふと我に返って、
あ〜恥ずかしいな。
と思ったんです。

以前は一応、自分の中では分けていました。
お話を聞かせていただくときはこのペン。
ちゃんとした大学ノート。

でも、”ちゃんとした”大学ノートを日本に忘れてきてしまって…。

手元にあるのはふざけた見た目のネタ帳のみ。

私はそんな自分がなんとなく嫌でした。
”ちゃんと”したい。
と、思っていました。

でも私は結構心がいつもざわついている人間です。

簡単に言うと、学生の時、机の上はいつも散らかっていて、物をポトポト落とす生徒でした。
今でも、オーディションとか講座とかで落とすことがあります。
「よう、落とすなあ」
と良く言われます。
ブログも脚本も、誤字がものすごく多いです。
読み返しても気がつかない。
と言うか、ちゃんと読み返すことができていない。
大体書きっぱなし。

それじゃ、みっともない!
と、しっかりしようと生きていました。

誤字も、後から見つけたら、
恥ずかしくて仕方ありませんでした。

でも、これが私なのでは?

と妙に哲学的なことをふと思ったんです。

私の”理想”は、
かっこよくて
颯爽としていて
大胆で
きちんとしていて
とにかく、かっこいい人!

でも、それって本当に私の”理想”なんか?と。

それは”誰かからこう見られたい”と言う”理想”なんじゃないか?
と言うことに気がつきました。

チェーホフの戯曲「三人姉妹」の中に出てくるナターシャは「恥ずかしい」「恥ずかしい」と言います。
でも、これは、”「みんなが自分のことを見ている」と思っている”から出てくる言葉なんだ。

と現場である演出家の方がおっしゃいました。

私もチェーホフは何年間も勉強中ですし、その考えには完全に同意です。
でも、その言葉が、急に自分に向かって刺さってきました。

私は、”自分の理想”と”誰かからこう見られたいと言う理想”を混同しているのではないか。と。
私はもうこの個性を持って生まれたのだから、このままでいいんじゃないか、と。
本当の私は何が良くて何が好きなんだろう、と。

学生の頃、大体クラスの番長みたいな女の子は、なんか飛び抜けていてかっこよくて、リーダーっぽくはないけど個性的な子も必ずいて、私はそのどちらかになりたくて仕方なかったんです。
でも、私はどうしても、上記のように物を落としたり、こだわりがないように見えたり、雑だから、
なんとなく自分がダサくて嫌だな〜と思っていたんです。

雑誌を見てファッションを研究しても、なんか自分に似合わない気がする。
で、言葉は残酷だから
「いや、それは無いやろ」
的なことを、目立つ友達や親に言われて、しょんぼりする。

そんなダサい自分がもしかしたらこの歳になってもコンプレックスだったのかも知れません。

私は

柄物も好きだし、モノトーンもかっこいいと思う
似合う似合わないは置いておいて、どっちも着てみたい
奇抜なことも好き
アクセサリーも大好き
筆記用具も色々持ちたい
ハイブランドも時には好き
スナック菓子が好き
甘い物も好き
ビールが好き
あまり考えずに書くことが好き
いろんなことを同時にやってみたい
いろんなことを同時に考えてみたい
妄想するのが好き
音楽が好き
踊るのが好き
その場のおしゃべりが好き
感覚で演出するのが好き
アイディアを考えるのが好き

これが私
私本来の”理想”なのかも知れないです。

「そのままで良いんだよ!」
と、相当周りに言い続けてきましたが、私もまだまだそのままの自分を肯定していなかったかも知れません。

自分のことは相変わらず大好きだし
ものすごい可能性を自分に感じてはいるのですが。

そんな思考にふける
日曜日のお昼でした。


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