丸木夫妻の原爆の図「地獄」から感じたこと


ブルガリアのナショナルギャラリーにて、丸木夫妻の「地獄」に出会いました。
国立と言いながらも観光地もあまりないブルガリアで美術館も貸切状態のガラガラ。
そんな中、3階の壁に堂々とかけてあったこの絵の前で、動けなくなってしまいました。

この体験は必ず文章にしないといけないと思っていましたが、なかなか思いがまとまらず、中途半端なままです。
でも記憶が薄れていく前に自分の言葉にした方が良いだろうなという思いから、上手くかけるかわかりませんが文章にしたいと思います。

3階へ上がる階段の真上にその絵はありました。

大きくて、とにかく大きくて、圧倒的な存在感を放つ絵。
タイトルや作家の名前は見えなかった。
吹き抜けの階段の壁にあったので、近付こうにも一定の距離を取らざるを得なかったから。

とにかくその存在感にぼーっと眺めてしまった。
なんというか、写真より、映像よりも生々しいリアル。
時にイマジネーションは現物を簡単に超えてしまう。
芸術はそんな時に手段として意味を持つんだな、と。
そんなことを考えていたと思う。

人々の表情。
黒、赤、白、灰色。
狭い狭い中に追いやられているような、大きなショックの渦の中にいるような、歴史的な人物がその中に紛れているような、そんな感じがした。
誰もいないギャラリーの中で一人、タイムスリップしたような気持ち。

一体誰がこの絵を書いたんだろう。
気になったので、体を伸ばし、作者とタイトルに顔を近づけた。
Iri Maruki
Satoshi Maruki
「HELL」
絵の端には日本語で何か文章が書かれてある。
”原爆”の文字。
これは日本人が描いた原爆の様子なんだ…。

私の行動が不思議だったのか、ゲストが一人しかいないギャラリーで気になったのか、スタッフの女性が近づいていてくれた。
「Hiroshima」
彼女は、英語が話せないようで、ブルガリアの言葉に何かを伝えてくれた。
そう、これは紛れもなく日本人が描いた日本に落ちた原爆、広島の様子だった。
この絵に、日本から遠く離れたブルガリアで出会うなんて。
このために、ブルガリアにきたのかな、とすら思った。

酷くリアルだった。
頭痛がしてきそうだった。
気がつけば歯を食いしばっていた。

この絵を描くには大変な労力がいっただろう。
後から調べると、この”原爆の図”のシリーズはまだまだあって、原爆が投下された5年後からずっと発表されているらしい。
だけど、きっと、描かなければいけないことを描いたんだな。と痛いくらい感じた。
この絵がどうなるか、なんてきっと考えてもいなくて、もっといえばも、これは私の解釈だけど、この絵によって何かを伝えたいなんてことも、もしかしたら、無くて。
無いのかもしれない。
そう感じた。
つまり、どうしても描かなければいけなかった。
何かに突き動かされて描いた。

そこにはきっと、絶望もあるだろうし、もしかしたら希望や期待もあるのかもしれない。
だけど、そんな想いのもっともっと前の段階で、これを描かなきゃいけない衝動があったんでは無いか。

私はこれを芸術、アートと呼ぶのかどうかは正直わからない。
だけど、これがこれこそがアートなんだ、と思いたい。

「何やってんねん。」

あっさりと、だけど心から、その場で呟いてしまった。
原爆を作ったのも核のスイッチを押すのも人間。
地獄を作るのも、生み出すのも、足を踏み入れるのも、人間。

持っていることがそんなに偉いのか。
どうして、持たないものが弱者だというのか。
持っているものの使い方を一歩間違えると、世界はこんなに破滅に向かうというのに。

どうして歴史を学ぶのか。学んできたのか。
なんのため?点数のため?体裁のため?

どうして長いものにまた、巻かれるのか。
また、繰り返そうとするのか。
「何やってんねん!!!!!!」
ずっと、ずっと、その日は一日中頭の中をその言葉がぐるぐると回って離れなかった。

ブルガリアの美術館でポツンとかけられた絵。

今、こうやって私が紅茶を飲んでいる間にも、暖かいベッドで寝ているときも、今日は疲れたとため息をついているときも、
どこかで人間が人間を殺している。
それは、今も続いている。
私たちはたくさん習ったはずだ。
なのにどうして、この嘘みたいに青い空が永遠に続くと思ってしまうんだろう。

そんなことを、考えずにいられませんでした。

そして、私がアートをやっている意味を再確認しました。
私はやっぱり何かのために芸術はできません。
それは儲けのためでも、生活のためでも。
もっと単純に言うと、何かに媚びてアートはできません。
それで食べていかないといけないのであれば、そこにお金が動いていかなければいけないのであれば、私は戦います。
その信条を曲げることは私がいる限り、私の作品には許されないと改めて感じました。
私はアーティストであり続けます。

そして、今この環境に感謝して。

長い文章。とりとめはいつも無く、読み返しもしない衝動のままに書いた文章ですが、この文章が誰かの心をノックしてくれたら幸いです。


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